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「名を教えて」

 重い水瓶を抱えて、チィは息をついた。
 熱っぽい身体を押して、当番の水汲みをしたのは意地があったから。
 ただでさえ、身体が小さくて力仕事は無理だと思われている。少しくらい不調だからといって、仕事ができないとは言いたくなかった。
 それに、チィだけが知る、秘密の泉から汲んでくる水は美味しいと評判が良かったから、今日も山の中へと入ったのだ。
 それでも、やっぱりやめた方が良かったかもしれない。重い水瓶を抱えながら、少し休もうと足を止めた。
 その時後ろから、重い水瓶をひょいと奪っていった男がいた。
「だから言ったろ。無理するなって」
 幼なじみのシュウだ。
 今頃は他の男たちと狩りをしている筈なのに、水瓶を片手で抱えて笑っている。
 今朝、熱があるのに気付いたのは、シュウだけだった。集落を出る時、声をかけてくれたのに無視をした。嬉しいけれど、チィにはチィなりの意地がある。
「狩りはどうしたのよ」
 素直にありがとうと言わないチィを抱き寄せると、シュウはおでこに口づける。
(こんなに熱があるくせに。俺の心配より、自分のことだろ)
 狩りの途中でいなくなったら、後で何を言われることか。チィが心配しているのは、そのことだった。
「大丈夫だよ。うまくやるから。寒くなって獲物が減ったから、つい多めに捕まえちゃって、それで睨まれただけさ」
「あいつらなんかに気を遣うことないのに」
 狩りの巧さを見せつけてやればいいと、チィは言う。
 けれど、シュウには目立ちたくない理由があった。
「睨まれて得することなんかないだろ。うまく付き合っていくためにやってるだけさ」
 肩で息をするチィに手を貸しながら、2人は山を下りる。
 集落が近付き、シュウは水瓶を差し出した。
「ありがと…」
 重い水瓶を抱えてふらふらと帰っていくチィの姿を、シュウは木陰からみつめ続けていた。おばばに声をかけられたのを見届けて、ほっとしたようにその場を離れる。
 その姿をじっと見ていた男の影に、さすがのシュウも気付くことはなかった。

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