家を出ようとしたところで、カヤとぶつかりそうになった。
ナウラは慌てて後ずさると、お帰り、と声を掛ける。
いつもなら嬉しそうに、ただいまと答えるのに、今日のカヤは違った。
「おまえに、客だ」
見た目は普通でも、機嫌が悪いのがわかる。
第一、客とは誰だろう。郷(さと)の人を客とは言わないし、郷以外の人間がナウラに会いにくることなどあり得ない。
ナウラは不思議そうに顔だけ出すと、カヤの向こうに立つ人の姿を見た。
始めは誰だかわからなかった。
相手は、自分の顔を見て、驚きの表情のまま固まっている。
白髪交じりで、男ぶりはいい。優しい顔つきに似合わず、鍛えられた身体は、狩りに明け暮れていることを物語っている。
『狩り』。その言葉で、ナウラの頭に、ある人物の名が甦った。
「…シュ、ウ?」
確かにシュウが年を取ったらこんな感じになるだろう。
けれど、どうしてもその姿が現実のものには思えなかった。
「…本当に、シュウ?」
互いの顔をみつめたまま、微動だにしない2人を見て、カヤがナウラの頭をぽんぽんと叩く。
「シュウだよ」
そう言って、カヤは郷の中へと消えていった。
シュウが、うめくような声を絞り出して言った。
「チィ、だよな…」
目の前の光景がいまだ信じられないように、呆然としている。
「どうして、少しも変わらないんだ…」
その言葉に、ようやくナウラは、おばばの言葉を思い出す。
『長命の者は、姿形が何十年も変わらない。そんな姿を、皆が受け入れられると思うか?』
目の前にいるシュウの姿は、別れてから長い時が経っているのだと、そう言っている。
けれど、ナウラには、どうしてもそれを信じることができなかった。
「…あれから、何年、経ってるの?」
声が震えている。
ナウラも信じ難い思いをしているのだと気付いたシュウの方が、立ち直りは早かった。
そうか、と呟くと、ナウラに近付き、片時も忘れたことのない愛しい顔をみつめた。
「チィと別れてから、28年経つ」
「28、年…?」
そんなにも時が経っているのだろうか。
シュウの髪に白髪が交じり、筋肉がしっかりとついた堂々とした姿へと変化させる程、長い年月が。
まるで、回りの時間だけが過ぎていって、自分はそこから置いてけぼりにされたような、そんな感じがナウラにはした。
困ったような顔をして、シュウがナウラの頬に手を伸ばす。
「おばばが駄目だって言う筈だ」
懐かしいシュウの手。少しごつごつとしてしまったけれど、優しく撫でてくれるそのぬくもりは変わらない。
自分をみつめてくれる熱い瞳も、あの頃のまま。
ようやくナウラは、目の前にいるのが本当にシュウなのだと、理解することができた。
懐かしいその瞳をじっと見上げて、大きな手のひらに、自分の手を重ねる。その手を、シュウはそっと握りしめた。
「…おばばが、なんて言ったの?」
愛おしそうに目を細めると、シュウは答えた。
「チィに、名問いの儀式をしたいって言ったら、おばばにそれだけは駄目だと言われたんだ。こういうことだったとはな…」
あの時、シュウは、2人で集落を出ようと言ってくれた。
けれど、チィはその言葉に頷くことはできなかった。力を持つ者は流れる時間が違うため、普通の人間とは一緒に暮らせないと、おばばから言われたからだ。
その時の、傷付いたシュウの顔を、今も忘れてはいない。
あの頃の不安な気持ちや、淋しく辛い思いが甦る。
ナウラは、苦しげに眉をひそめた。
そんなナウラの眉間に、シュウはそっと口づけた。
「気にするな。おまえのせいじゃない。俺なんかより、おまえの方がずっと辛かったんだな。悪かった」
2人は、互いに手を伸ばして抱き合った。
「あのまま暮らしていたら、ずっとシュウと一緒にいた。シュウは、私にとって特別な男だから」
「あぁ。俺もだ」
2人の顔が近付き、互いの唇が触れ合う。
長い時を埋めるかのように。
2人の間を分かつ、深い隔たりをもどかしく思いながら。
互いの唇を求めて、口づけは深くなっていった。