私と文楽との出会い

私が初めて文楽(=人形浄瑠璃)と出会ったのは、中学生の頃。
古典が好きだったため、夏休みなどにNHK教育テレビ「高校古典講座」を見ていたのですが、 『近松』の回の時、初めて文楽というものを知りました。
とにかく衝撃的でした。
わざわざ三人遣いというややこしいやり方で人形を遣っているのにその動きは滑らかで、
8等身以上という人形のバランスは見ていてとても綺麗で、
なにより動かない筈の木で作られた顔がなんと表情豊かに語りかけてくるのか、
ただもう画面に釘付けになってみつめていました。
後になって気付いたのですが、、文楽で使うのは、太棹三味線。
小学生の頃、大好きだったNHK人形劇「新八犬伝」のテーマ曲にも使われている楽器で、 耳馴染みのある音だったということもあるのでしょう。

初めて舞台を観たのは18歳の時。
名古屋の中日劇場で文楽公演があると知り、母に頼んで連れていって貰いました。
演目は「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわのかがみ)」。
文楽では珍しい裸の団七が出てくる有名な場面がありますが、そのダイナミックさ、リアルさ、 団七の苦悩は、観ていて鳥肌が立ち、歯がみしたい程の悔しさや哀しみが痛いほどに伝わってきました。
この時の団七の遣い手は故二世桐竹勘十郎氏、舅義平次を故吉田玉男氏、
一寸徳兵衛を吉田簑助氏、また、故四世竹本越路大夫氏や故五世鶴澤燕三氏という、
そうそうたる方々の舞台でした。
残念ながら文楽の本拠地である朝日座(〜昭和59年)での観劇はできませんでしたが、
大阪にある国立文楽劇場へは年に1〜3回ほど足を運んでいます。


文楽のはこへ戻ります
inserted by FC2 system