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「花開く」

 街路灯に照らされて、満開の桜が浮かび上がっている。
 会社からの帰り道、圭太は、民家に植えられた1本の桜の木を見上げていた。
(あれから、2人で何度見ただろう)
 桜は、圭太と真由を出会わせてくれた。
 桜を見るために、あちこちの名所へ2人で出掛けたのは、今はもう、思い出の中だ。
 今年の桜を、圭太は独りでみつめている。
『圭太が声をかけてくれたきっかけだったからかな。桜が散っているのに、なんだか嬉しくなってしまうの』
 風に舞う花びらの中で、真由はいつも楽しそうに笑っていた。
 桜は散り際がいい、だなんて偏屈な奴のいう言葉だと思っていたけれど、そんな真由を見るたびに、そうなのかもしれないと圭太は見惚れていたものだ。
 社会人となって、1年が経った。
 忙しくて、すれ違いの続く1年間だった。圭太は、ドタキャンばかりの約束をするのが辛くなり、次第に連絡を取らなくなった。そのうち、真由からのメールもなくなった。
 連絡をするタイミングを失ったまま、数ヶ月が過ぎた。
 今更のように、智史のシビアな忠告を思い出す。
『就職したら、会社には年上の頼れる男がうようよいる。学生時代の恋人なんて、頼りなくて捨てられるから気を付けろよ』
 そう言った智史は、大学卒業と同時に、真由の友人の菜々子とさっさと結婚した。
 その思い切りの良さをうらやましいと思わないでもないが、結婚するなら足元を固めてからと考える圭太には、所詮真似できないことだった。
 自分たちには、目に見えない絆がある。
 連絡を取らない間、圭太の支えとなっていたのはその思いだった。
 先日の休みに、駅から大学へと続く桜並木を見に行った。思い出の掲示板の前にも立ってみた。もしかしたら、偶然会えるかもしれない、と。
 けれど、真由には会えなかった。
 何度も携帯を開いたが、指が動かなかった。
 ドタキャンの連絡を入れる度、受け入れてくれる真由の淋しそうな声。あの声を、また聞くのかもしれないと思うと、ただ電話するだけのことができなかった。
 人少なの大学校内で、圭太は携帯を手に、独り立ち尽くしていた。


 ぎりぎりだ。
 圭太は、手にしていた書類かばんを脇にかかえると、真夏の炎天下を走り始めた。前の商談が長引き、次の約束の場所まで、走っていっても果たして間に合うかどうか。
 そんな状態で、何故気付くことができたのだろう。
(真由?)
 そう思った瞬間に、足は急ブレーキをかけていた。
 振り返りざま、「真由っ」と叫ぶ。
 真由も、呆然と圭太をみつめていた。
 焦っているから、言葉が何も出てこない。
 近くにいた人間が何ごとかと足を止めて、圭太と真由に注目し始めていた。
 圭太は、吹き出す汗を手の甲で拭うと、こう言った。
「今夜、連絡する。必ず」
 真由が笑顔で頷くのを確かめると、圭太は待ち合わせ場所へと必死で走ったのだった。

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