「傘」

 雨が降ると、思い出す喫茶店がある。
 小洒落た雰囲気だけれど、オーナーの人柄があったかくて、お気に入り。
 歩道側が全面ガラス張りになっていて、いつもその窓側が指定席。
 高校生の頃、よく通ってた。
 デートの時にね…。


 たくさんの傘の中から、先輩の傘をみつけるのが上手なの、私。
 背が高いから?
 違うってば。
 重なり合う傘から、1つだけぴょこんと出ているからでしょうって、そういう理由じゃないからね。
 黒や紺、男の人の傘ってみな、同じようなものばかりだけれど、先輩の傘はちゃんとわかるの。
 愛の力よ、ア・イ・ノ・チ・カ・ラ。
 そこ。笑わないでくれる?
 本当なんだから。
 とにかく、雨の日は、絶対に窓際の席。
 いつも早めに来て、こうして待ってるの。
 ほら、あれ。
 絶対そう。
 あの傘、先輩の。
 ね。
 入ってきた先輩、少し照れた顔して笑ってる−。


 今日も雨。
 だから、窓際の席から歩道をぼうっと眺めてる。
 たくさんの傘が通り過ぎる。
 黒や紺。赤に水色にピンク色。
「アイスコーヒーと、ミルクティーです」
 私はオーナーを見上げた。ミルクティーなんて、頼んでない。
 いつも先輩が飲んでたミルクティー。
 他のお店だと、私の前に出されちゃうけれど、ここはちゃんと先輩の方に出してくれたっけ。
 でも。
「1年、ですね」
 慰めるようなオーナーの目。
 ミルクティの置かれた、前の席は、空っぽ。
 そう。
 もう、待っていても、先輩はやって来ない。
 あの傘も、もうみつけることはできない。
「今日は、裕貴くんの一周忌。…美久ちゃん、彼はもう、来ないんですよ」
「わかってます…」
 この1年、雨が降るとここに来て、窓際の席から、歩道の傘の群れをぼうっと何時間も眺めていた。
 そんな私を、ずっとオーナーは見守ってくれていた。
「こんなじゃ、裕貴も心配しますよね。わかってはいるんです。でも…」
 今日が最後。
 今日で最後にするから。
 窓に映る喪服姿の自分。
 その向こうに、行き交うたくさんの傘。
 その中に、裕貴の傘はもうないんだと、思い知る。
 オーナーが出してくれたミルクティーは、飲んでくれる人もなく、ゆっくりと冷めていった。


 雨が降ると、あの喫茶店のことを思い出す。
 今も昔のまま残っているという、あのガラス張りの窓際の席のことを。
【完】(テーマ:雨)


ショート・ショートのはこへ戻ります   「蛇の目」著作;紫草
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