「貝の音」

 本を片手に、僕は病室へと戻った。
 その足が入り口のところで止まったのは、部屋の中に、知らない少女がいたからだ。
 粗末な木綿の着物の上に、白い割烹着。
 貝を耳にあてて、じっと目を閉じている。
 世話をしてくれる替わりの人が、今日から来るって言ってたっけ。
「聞こえる?」
 そう聞いた僕を、彼女はびっくりした顔でみつめた。黒い大きな瞳が印象的な、だけれど、ごく平凡な顔立ちの子だった。
 彼女は貝を差し出して、勝手に手にしたことを謝った。
「いいよ、別に。波の音は聞こえた?」
 僕は、貝を小さな卓上の上に置いた。
 去年、中学校(旧制)から海へ行った時に、買った貝。
 赤褌一丁での遠泳はきつすぎて、結局熱を出した僕は、近くの別荘で養生するはめになった。熱が下がっても過保護な周りのせいで、東京へは戻してもらえず、ぶらぶらと近所を散歩しているときに、土産物を扱う店でこの貝をみつけた。
 柔らかな乳白色に輝くこの貝を、なんということもなく手に取ったら、店番のおばあさんが波の音が聞こえますよ、と教えてくれたんだ。
 しばらくの沈黙の後、遠慮がちに、彼女はこう答えた。
「浜の松風が、ごうごうと唸る音がします」
 本当にびっくりしたんだ。
 それは、僕が思ったのと全く同じだったから。
「海へ、行ったことがあるの?」
 この療養所は、長野の山の中にある。こう言ってはなんだけど、旅行のできる生活を送っているようには見えない。
 みつ、と名乗った彼女は、消え入るようにこう答えた。
「生まれは、小さな漁村です。毎日、浜風を聞いて育ちました」
 ここへは、親戚を頼ってやって来たのだという。僕と同じくらいの年齢で、親元を遠く離れて働いているのだ。
 みつの俯いた姿を見て、心底恥ずかしくなった。
 せっかく合格した中学校も休みがち、夏になると、高原の療養所でのうのうと養生させてもらっている僕が、見下すような言葉を使って、彼女を傷つけた。
 僕はできるだけ優しく聞こえるよう、注意してみつに言った。
「これからは、いつでもこの貝で風の音を聞いていいよ」
 みつは恐縮して、首を横に振った。
 だから、僕は毎日、みつがやってくると、貝を押しつけるようにして手渡した。みつは、貝に耳をあてると、目を閉じて松風の音を聞いていた。
 貝を耳にあてると波の音が聞こえる、だなんて、誰が言い始めたんだろう。女学校へ通う姉も、ここの看護婦も、皆、夢見るようにそう言うんだ。
 でも僕には、別荘で眠る夜、ごうごうと耳に響いてくる松風にしか思えなかった。小さい頃は、暑い夏を避けて東京から別荘へと移された。夜になると、恐ろしいような松風を耳にして、僕はいつも1人震えていた。
 その音が平気になったのは、近くに住む同じ年の女の子やその弟たちと仲良くなったからだと思う。僕は、その子とみつの姿を重ねていたのかもしれない。良いことをしているんだと、思い上がっていたのかもしれない。
 ある日、差し出した貝をじっとみつめて、みつは哀しそうにこう言った。
「…家に帰りたくなるから」
 申し訳なさそうに縮こまる姿を見て、僕はどうしていつもこうなんだろうと、自分のことが嫌になった。お父様からも、いつも言われているのに。
『人は、とかく自分を基準に考えがちだ。視野が狭ければ、その物差しは狂ってくる。身体が弱くとも、視野を広げることはできる筈だ。正しい物差しを持てるよう、励みなさい』


 東京へ帰るとき、みつにあげようと思っていた貝は、今も私の手の中にある。
 時折貝を横目で見ていたみつに、手に取るよう勧めたけれど、貝に耳をあてたのは、療養所を去る最後の日だけだった。
 その時から、自分への戒めとしてずっと手元に置いてきた。
「まだ、それをお持ちだったのですか」
「懐かしくなってね。久し振りに眺めていたんだ」
 身体が弱かった私は、召集令状を受け取ることもなく終戦を迎えた。20歳まで生きられないと言われていたのに、父の跡を継ぎ、妻を迎え、子も生まれ、高度経済成長のなか、会社を大きくした。
 貝を出してきたのは、みつの消息を聞いたからだった。家族に囲まれて幸せに暮らしているという。
 戦争が残した功罪は多いけれど、身分制度がなくなったのは、良いことだ。
 いつも肩を小さくしていたみつの姿を思い出しながら、私はほっと息をついたのだった。
【完】(テーマ:夏)


ショート・ショートのはこへ戻ります   「ささらぐ小川の畔にて」著作;紫草
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