「バレンタイン」

 最近、バレンタインもなんだかマンネリ。
 結婚したばかりの時は、張り切ってチョコトリュフとかチョコムースなんかを作ったりしたけれど。
 近頃じゃ、市販のチョコばかりだし、それも自分が食べたいものを選んでいたりする。渡してすぐに、横から手を出して食べちゃうし、自分用のチョコの方が高い物だったりもする。
 だから。
(今年はもう、いいかな…)

 そんな風に思ってた。

 帰宅した夫は、なんだか機嫌がいい。
 チョコを期待しているんだな、と思うと、少しだけ胸が痛んだ。
 食卓を見て、夫が一瞬、あれ?という顔をする。
 そう。去年までは、バレンタインメニューを作ってた。ピンクのテーブルクロスを敷いて、ただのシチューだけれど、とっておきの食器を出したりして。
 でも、今日は、いつもと変わらない食卓。
 何か言うかな、と思ったのに、夫は何も言わずに食べ始めた。心なしか、夫の機嫌も悪くなったような気がする。
 やめちゃったんだ、明るくそう言おうと思っていたのに、なんだか言いそびれてしまった。
 夫は、もくもくと食べている。いつもそうなんだけれど、今日はそれが辛かった。
 言えなかった言葉が、私の胸に重く沈んでいく。
 夫は食べ終わると、いつも通り、自分の食器を流しに運んでくれた。
 私も立ち上がったけれど、お皿を手にしたまま、足が動かなかった。

 自分から止めたくせに。

 夫が何も言ってくれなかったことで、傷付いている自分に気が付いた。
(莫迦みたい…)
 涙がにじんで、お皿がぼやけた。

 立ち尽くしているのに気付いた夫が、私の顔を覗き込む。
 涙ぐんでいるのを見られたくなくて、私は顔を背けた。
 夫は、私の手からお皿を受け取ると、テーブルに置いた。
 そのまま、そっと抱きしめられる。
「どうして泣いてるんだ?」
 夫の声は、優しかった。怒っているかと思ったのに。
「泣きたいのは、俺の方なんだけどな」
 驚いて顔を上げたら、夫が苦笑していた。
「今年はチョコなし、なんだろ? 楽しみにしてたのになぁ」
 チョコをあげたって、そんなに嬉しそうじゃなかったし、当たり前みたいに受け取っていたのに。
 ホワイトデーのお返しを買うのだって、いつも面倒くさそうだったのに。
 そういえば、失敗したチョコトリュフを、美味しいって食べてくれたっけ。気が向いたから作っただけのチョコレートムースも、すごく喜んでくれたっけ。
「作ったよ、ちゃんと」
 そう言って、夫の肩に顔をうずめた。

 ありがと。
 耳元をくすぐるような声が落ちてくる。
 いつもの夫の匂い。
 温もりに包まれる心地よさに、私はそっと、目を閉じた。
【完】


ショート・ショートのはこへ戻ります   「St.Valentine」著作;紫草
inserted by FC2 system